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Photoshop Elements 7 と EOS 5D MarkⅡ

Photoshop Elements 7 を使っててカメラを EOS 5D MarkⅡ に替えたらEOS 5D MarkⅡの画像が表示されない!!っていう方に解決方法をお伝えします。


理由を一言で言えばPhotoshop Elements 7のプラグインがEOS 5D MarkⅡに対応してないっていうことです。
なのでこれを解決するには最新のプラグインを導入する必要があります。
プラグインの入手とインストールはボクが見た限りではかなりクセがあるので分かりにくいです。
なので、ここで図解で方法を書いておきます。


まずは最新プラグインの入手方法です。

10_0117_PSE7のEOS 5D MarkⅡ対応_001

ADOBEのHPのTOPページの上部右手にある”ダウンロード”からプルダウンで”アップデート”を選びます。


10_0117_PSE7のEOS 5D MarkⅡ対応_002

「製品のアップデート」のページに飛ぶので、今度は”アップデートを検索”のプルダウンメニューから”Photoshop Elements - Windows”を選び、”GO”ボタンを押します。


10_0117_PSE7のEOS 5D MarkⅡ対応_003

飛んだ先のページで「Version 7.x」のリストから”Camera Raw 5.6 アップデート”をクリックします。
そうするとこのページに飛びます。


10_0117_PSE7のEOS 5D MarkⅡ対応_004

ページの最下段にあるURLをクリックします。
そうするとこのページに飛びます。


10_0117_PSE7のEOS 5D MarkⅡ対応_005

”ダウンロード開始”ボタンを押します。
ダウンロード先はどこでも構いません。
デスクトップでもオッケーです。


10_0117_PSE7のEOS 5D MarkⅡ対応_006

”Camera_Raw_5_6.zip”っていう圧縮ファイルがダウンロードされるので適当な解凍ツールで解凍します。
そして”CameraProfiles.exe”をダブルクリックしてインストールします。


・・・・と、これでEOS 5D MarkⅡの画像が表示されるようになるはずですが、なぜかダメなことがあります。
ボクの場合もそうでした。
その場合は強制的にプラグインを手動で書き換えます。


10_0117_PSE7のEOS 5D MarkⅡ対応_007

さきほど解凍したフォルダにある”Camera Raw.8bi”をコピーし・・・・・


10_0117_PSE7のEOS 5D MarkⅡ対応_008

C:\Program Files\Adobe\Photoshop Elements 7.0\Plug-Ins\File Formats
のパスにある同名のファイル”Camera Raw.8bi”に上書きします。
※通常のインストールを行っていればパスは上記のはずですが、違う場所にインストールされてる方はご注意下さい。
※上書きが心配な方は、元ファイルはどこかに待避させておきましょう。


おそらくこれで見れるようになるはずです。


ダウンロードした”Camera_Raw_5_6.zip”ファイルはその後捨ててしまっても構いませんが、念のため分かりやすい場所に取っておきましょう。


以上です。

お約束ですが、作業は自己責任でお願いします (^o^) b



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  1. 2010/01/20(水) 20:21:33|
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江戸の今と昔・・・・その2

前回《記事》の続きです。


今回は首相官邸から。

09_1220江戸の今と昔_09a

09_1220江戸の今と昔_09b

首相官邸のあたりはだいぶ道割が変わってしまっています。
今の官邸のある敷地は幕末から明治初期にかけて持ち主がいろいろ変わった末、1929年に旧首相官邸が完成。
今の新官邸は2002年に完成。
旧首相官邸は歴史的建造物として価値のある建物だったので、今は首相公邸として使われています。
それにあたり、総重量約2万トンの建物を南に約50m移動させる曳家を行い、さらに1929年の完成当時の姿に復元する改修工事が行われたそうです。

溜池の辺りはまさしく池だったわけですが、江戸時代中期ごろからだんだん埋め立てが進み、明治初期には完全に埋め立てられてしまい、今は地名として残るだけになっています。


最高裁判所。

09_1220江戸の今と昔_10a

09_1220江戸の今と昔_10b

江戸時代は当時井伊家の屋敷があったところが最高裁判所になっています。
最高裁判所は昭和22年施行の日本国憲法と同年施行の裁判所法により設置されました。
それまでは司法省裁判所、大審院と呼ばれ、今の最高裁判所とは違う機構だったようです。
明治時代半ばには陸軍参謀本部や陸軍大臣官舎が置かれてたようですが、その後どういう経緯でここに最高裁判所が置かれるようになったかは不明です。


市ヶ谷の防衛省。

09_1220江戸の今と昔_11a

09_1220江戸の今と昔_11b

江戸時代は尾張家の広大な屋敷になっています。
家紋が三つ葉葵なのでこの尾張家は徳川御三家(尾張・紀州・水戸)の尾張徳川家なんでしょうね。
明治時代は陸軍士官学校になり、それがそのまま自衛隊に引き継がれたようです。


六本木周辺。

09_1220江戸の今と昔_12a

09_1220江戸の今と昔_12b

今でこそ一大歓楽街として名をはせてますが、江戸時代当時は、武士たちのいわば住宅街だったようです。
東京タワーの敷地は昔は墓地だったようですよ。
東京タワーは正式名称を「日本電波塔」と言い、昭和33年に竣工です。

六本木ヒルズの前身は毛利家の屋敷でした。
その後のことは分からないのですが、たぶん細分化されて普通の住宅街になってたのかもですね。
現在六本木ヒルズに毛利庭園っていう施設があるのは、江戸時代の毛利家の屋敷にちなんでいるからです。


中央卸売市場筑地市場。

09_1220江戸の今と昔_13a

09_1220江戸の今と昔_13b

尾張家・松平家の屋敷跡が今の築地市場になってるようです。
明治期には海軍大学校が置かれてました。

東京の中央卸売市場というのは築地市場だけかと思ってたら、実は世田谷区や板橋区・大田区・多摩市など、築地を含めて11箇所もあるそうです。
江戸時代には自然発生的にできた市場が乱立し、しだいに激しい過当競争や不十分な衛生管理など問題が多くなったようです。
それを明治10年になって法令で市場の数と位置を限定するとともに、問屋・仲買業者の数を制限したそうです。
この時点では水産物市場は4箇所、青果は16箇所ほどあったそうです。
その後昭和10年に東京市中央卸売市場が開設され、これが現在の築地市場の原型となってるそうです。
築地市場は水産物・青果物を取り扱う総合市場であり、水産物については、我が国最大の取扱量を誇ってるそうです。


東京ドームと小石川後楽園。

09_1220江戸の今と昔_14a

09_1220江戸の今と昔_14b

これは有名な話だと思いますが、ここはいわゆる徳川御三家の一つ、水戸徳川家の屋敷でした。
三ツ葉葵の御紋が燦然と輝いてます。
水戸藩初代藩主の徳川頼房が築いた庭園を、2代目の徳川光圀(水戸黄門)がさらに手を加え「後楽園」と命名して完成させたそうです。
こんな広大な敷地を自宅にしてたとは・・・・水戸家の威光の強さを感じます。
水戸黄門は徳川家康の孫に当たるんだそうですよ。
水戸黄門といえば諸国を回って悪代官共をやっつけるというTVドラマのイメージが先行しますが、実際は関東から外に出たことは無いそうです。
なーんだ (笑)
でも隠居後に水戸藩内を巡視して廻ったことは本当らしいですよ。
ちなみに岡山県にも日本三大名園の一つとして後楽園という名の庭園がありますが、こちらは水戸家とは関係ありません。


赤坂御用地と赤坂迎賓館。

09_1220江戸の今と昔_15a

09_1220江戸の今と昔_15b

ここも徳川御三家の一つ紀州(紀伊)徳川家の屋敷跡ですね。
赤坂迎賓館は明治42年に皇太子(後の大正天皇)の東宮御所として本格的な西洋建築の様式に則って建てられたものです。
※皇太子様のお住まいを「東宮御所」と呼ぶそうです
しかし邸宅として使いにくかったために実際はあまり使われなかったそうです。
※その間、どこに住まわれていたのかは不明です。
その後、外国の賓客を招く機会が増えたために東宮御所を改修して迎賓施設とすることが1967年(昭和42年)に決定されたそうです。
以前改修時の写真を見たことがありますが庭園は雑草が生い茂り、かなり荒れた様子でした。

ところで現迎賓館が東宮御所として使われなかったことで、新たに東宮御所が1960年(昭和35年)に作られたそうです。
それが赤坂御用地内に今もある東宮御所であり、今上天皇の皇太子(浩宮様)のお住まいです。
浩宮様は1960年の生まれですからそれに合わせて作られたんでしょうね。
ちなみに今上天皇の第2子である秋篠宮様も赤坂御用地内にお住まいですし、今上天皇の叔父の三笠宮様も、そのご子息である寛仁親王もここ赤坂御用地内に住んでおられます。

このように赤坂御用地は名前の通り皇室の管理地ですが、赤坂迎賓館は内閣府の管理になっています。
赤坂迎賓館は2009年に国宝に指定されたことは記憶に新しいところです。


以上で『江戸の今と昔』シリーズは終わりです。
また何かネタがあったら書きますね (^o^)


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  1. 2010/01/01(金) 19:19:43|
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江戸の今と昔・・・・その1

最近、『 江戸の町(上)・・・日本人はどのように建造物をつくってきたか 4 』という本を読みました。

江戸がまだ荒野だった頃から始まって、家康の江戸入り、そして江戸の町が発展していく様子を平易な文章とイラストで分かりやすく描いた本です。
上巻は明暦の大火で町の半分以上が焼失するところで終わります。
※下巻の方はまだ読んでませんが明暦の大火から再びよみがえり、江戸文化が華開く様子を描いてるそうです
東京に住むようになって長いのにその成り立ちはほとんど知りませんでした。
この本で初めて概略が掴めました。
深く調べようとするとキリがないようですが、この本はその入口で最初に読む本として最適だと思います。


内容をここで書くと膨大な文章になるので割愛します。
ただ大ざっぱに流れを書くと、

 ①室町時代、上杉定正によって旧江戸城が築城されるが、その後一旦寂れる。
 ②豊臣秀吉の命を受けて徳川家康が江戸に入り(1590年)、江戸の都市計画を練り、実行に移していく。
 ③関ヶ原の合戦に勝った家康が征夷大将軍となり(1603年)江戸が日本の中心地となったことにより、都市計画をさらに発展させつつ江戸城を建てる。
 ④町屋・職人町・商人町などの発展。
 ⑤明暦の大火(1644年)で江戸城と江戸の町の大半が灰燼に帰する。
 以降、下巻へ続く。

となります。


さてGoogleEarth《HP》で江戸の古地図が見れるのはご存じでしょうか?
画面左下の『レイヤ』から『ギャラリー』の中にある『ラムゼイ歴史地図』にチェックボックスをオンにすると日本各地の歴史地図のある場所にマークがつきます。
そのマークをクリックし、”To Overlay the Map on Google Earth, Click on Map Thumbnail”をクリックすると画面に古地図がオーバーレイされます。
江戸に関しては江戸初期から後期、幕末、明治期の4つの古地図があります。
各地図を現在の画像と比べながらよく見ると、江戸初期から明治維新を経て事実上日本の中心地であり続けた江戸の街並みは姿を変えつつも今もその名残を残しているようです。
今回はその中から面白そうなのを選んでご紹介したいと思います。
古地図は1858年の明治維新直前のものを使用します。
初期のものは歪みが酷いのもありますが、文字が達筆すぎて全く読めないので・・・・(^o^;)


まずは江戸城全域。

09_1220江戸の今と昔_01a

09_1220江戸の今と昔_01b

堀割はだいぶ崩れてますね。
特に江戸城から南では皇居周辺を除きほとんど失われてしまってます。
でも大通りや町割りは江戸時代の姿をよく残しています。


日本橋付近。

09_1220江戸の今と昔_02a

09_1220江戸の今と昔_02b

日本橋川の上空には首都高速が走り、めちゃくちゃにされてますが、日本橋の位置は不動です。
今ある日本橋は明治44年に造られたものです。
日本の道路網の起点として有名ですね。
江戸時代からここは東海道や中山道など各街道の始点でした。


日本銀行本店。

09_1220江戸の今と昔_03a

09_1220江戸の今と昔_03b

当時は『金座』が置かれていました。
金座とは金の鋳造や管理を行う施設のことです。
それが転じて今の日本銀行になってるんですね。
ただし金座の機構がそのまま日本銀行になったわけでは無いと思います。
管理はともかく、貨幣・紙幣の製造は日本銀行ではなく、貨幣=独立行政法人造幣局(大阪)、紙幣=独立行政法人国立印刷局(東京都港区)です。
日本銀行は明治15年創設。
江戸時代の遺産として引き継いだ通貨システムの混乱を立て直し、健全で信頼性のある通貨の必要性が高まったことを受けて中央銀行の設立に繋がっていったそうです。《参考HP



銀座界隈。

09_1220江戸の今と昔_04a

09_1220江戸の今と昔_04b

北の金座に対して、こちらには”銀座”が置かれていました。
銀座は銀貨の鋳造や管理を行う施設のことです。
”銀座”は施設名であって地名ではないのですが、当時から通称としてこの辺りを銀座と称していたそうです。
古地図には京橋付近に小さく銀座の文字が見えます。
数寄屋橋や京橋、新橋という地名は実際にそこに橋があったからなんですね。
今はお堀は影も形もありません。
銀座は当時から今のような高級商業地だったわけではなさそうです。
どちらかというと職人の住む町という色彩が濃く、日本橋や京橋より賑わいは劣っていたようです。
それが変貌するのは明治に入ってから。
明治5年の銀座の大火により町は壊滅的な被害を受けます。
それが契機となって火に強い煉瓦造りの商店街が形成されたようです。
銀座の南端である新橋は横浜-東京間を結ぶ鉄道の終着駅であり、北端の日本橋は古くからの商業の中心地です。
この新橋と日本橋を繋ぐ銀座は文明開化の明かしとしての役割を期待されていたようです。


上野公園。

09_1220江戸の今と昔_05a

09_1220江戸の今と昔_05b

不忍池は当時からありました。
江戸初期の地図にも出てるので当時からあった自然の池がそのまま残ったんでしょうね。
古地図によれば不忍池の北岸には東叡山寛永寺という大きなお寺がありました。
今の上野公園のほぼ全域が境内だったようです。
その後、幕末の戊辰戦争でほとんどを焼失してしまったそうです。
上野公園はその跡地にできたものなんですね。
今残るのは五重塔(東京都所属)、東照宮(上野東照宮として寛永寺から独立)くらいで、肝心の寛永寺は規模を大幅に縮小して鶯谷駅の近くにひっそりと建っています。


秋葉原付近。

09_1220江戸の今と昔_06a

09_1220江戸の今と昔_06b

日本一有名な電気街も当時は何もありません。
戦前からこの辺りを含め上野・小川町・上野などにはいくつかの電器商が店を構えていたそうですが第2次世界大戦で焦土と化します。
ここに一大電気街ができるのは昭和25年から始まった朝鮮戦争特需によるものだそうです。
需要が一気に増えたことで戦前の商店が息を吹き返し、秋葉原付近は交通の便が良かったこともあり急速に発展したようです。《参考HP


新宿東口と新宿御苑。

09_1220江戸の今と昔_07a

09_1220江戸の今と昔_07b

東口のあたりは田畑の目立つ山里だったようです。
ほとんど何も無いですね。
新宿御苑の辺りは駿河の内藤さんの屋敷その他になってます。

ちなみに超高層ビルの建ち並ぶ新宿西口は地図に載ってません。
当時は江戸の西の果てだったんでしょうね。


桜田門から虎ノ門へ続く霞ヶ関の官庁街。

09_1220江戸の今と昔_08a

09_1220江戸の今と昔_08b

この辺りは当時から有力な大名たちの屋敷町だったようですね。
松平姓が目立ちます。
松平とは徳川家の母体です。
徳川家康が徳川姓を名乗る前は松平姓だったようです。
よく分からないのですが、松平家の一族で代々征夷大将軍になると徳川姓を名乗り、ならなかった人達は一部の例外(下記)を除き松平姓のまま・・・ということだと理解してます。間違ってたらすみません。
例外として徳川家康の親族である御三家(水戸・紀州・尾張)は徳川姓を名乗ることが許されていたそうです。
加賀・越中・仙台などの有力な大名には血縁関係がなくても松平姓を名乗ることが許され、松平という姓には有力者であることの明かしというか称号的な役割があったそうです。
この辺は現在の親父の姓=一家の姓という単純な制度から見るとワケが分からず、アタマが混乱してきますね (^o^;)
いずれにせよ、現在大規模な建物が建っている場所はそのほとんどが旧有力大名家の屋敷跡のようです。
それは次回でも引き続き紹介します。


その2《記事》に続く・・・・



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  1. 2009/12/24(木) 18:31:27|
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解剖!! 五千円札

以前、壱万円札と千円札の隠し文字《関連記事》について書きましたが、今回五千円札にも隠し文字があるらしいので探してみました。
ルーペを駆使して探しまくった結果、やはりありました!!

09_0722_解剖五千円札_01

表側に『ニホン』の3文字。


09_0722_解剖五千円札_02

『二』


09_0722_解剖五千円札_03

『ホ』


09_0722_解剖五千円札_04

『ン』


09_0722_解剖五千円札_05

裏側にも『ニホン』の3文字。


09_0722_解剖五千円札_06

『二』、『ホ』、『ン』


恐るべし、日本の匠の技ですね。
でも血眼になって探さないと分からない隠し文字が実際に偽造防止になるのか疑問ですが・・・・  (^o^;)


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  1. 2009/08/03(月) 22:37:02|
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プロフィール

kazu_hiro

Author:kazu_hiro
kazu_hiro

■居住地:神奈川県
■性別:♂
■クルマ
 Nissan Z33
  2003.6~
■バイク
 Suzuki DR-Z400SM
  2005.7~
 KTM 690 DUKE R
  2011.4~  
■カメラ
 Canon EOS 30D
  2006.6~2010.01
 Canon EOS 40D
  2007.11~2010.01
 Canon EOS 5D MarkII
  2010.01~
 Canon EOS 5D MarkIII
  2013.06~ 
 Canon EOS M2
  2014.01~

■レンズ
 Canon EF24-105 F4L
  2006.09~
 Canon EF100-400 F4.5-5.6L
  2007.12~
 Canon EF70-300 F4.5-5.6
  2006.09~
 Canon EF50 F1.4
  2010.08~
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  2007.10~~2010.01
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◆KTM690DUKE R('10)主要諸元
型式 690DUKELDU47
エンジン種類
 水冷4ストロークOHC4バルブ単気筒
総排気量 690cc
内径/行程 102/84.5mm
最高出力 70ps(51.5kW)/7500rpm
最大トルク 70Nm/5500rpm
圧縮比 12.5:1
始動方式 セル式
変速機 6速
変速比
 第1速 2.500
 第2速 1.750
 第3速 1.333
 第4速 1.095
 第5速 0.957
 第6速 0.870
減速比(1次/2次) 36:79/16:40
潤滑方式
 2個のオイルポンプによるオイル圧送式
エンジンオイル モトレックス SAE 10W-60
クラッチ形式
APTCスリッパークラッチ 油圧操作式
燃料供給方式
 ケイヒン電子制御フューエルインジェクション

全長/全幅/全高 2122/830/1243mm
フレーム クロームモリブデン鋼
サブフレーム アルミニウム
ハンドルバー アルミニウムφ28/22mm
フロントフォーク
 WP倒立フォークφ48mm
リアサスペンション
 WPモノショック・プロレバーリンク
サスペンションストロークF/R 140/140mm
ブレーキF/R
 ディスクブレーキ φ320/240mm
リムF/R 3.50×17 5.00×17
タイヤF/R 120/70R 17 160/60R 17
サイレンサー ステンレススチール
ステアリングヘッド角 63.5°
軸間距離 1472±15mm
最低地上高(無負荷) 155mm
シート高(無負荷) 865mm
燃料タンク容量 約13.5L/2.5Lリザーブ
半乾燥重量 約148.5kg(燃料含まず)
乗車定員 2名
生産国 オーストリー


◆DR-Z400SM('05)主要諸元

型式 BC-SK44A
全長 / 全幅 / 全高
2225mm/870mm/1,185mm
軸間距離/最低地上高
 1,460mm/260mm
シート高 / 乾燥重量 870mm/133kg
最小回転半径 2.6m
キャスター/トレール 26°15’/94mm
タイヤサイズ
 F: 120/70R17M/C 58H
 R: 140/70R17M/C 66H
 (リム幅4.5inch)

エンジン型式
 K419・水冷・4サイクル・単気筒
弁方式 DOHC・4バルブ
総排気量 398cm3
内径×行程 / 圧縮比
 90.0mm×62.6mm/11.3
最高出力 29kW[40PS]/7,500rpm
最大トルク 39Nm[4.0kgm]/6,500rpm
キャブレター形式 BSR36
潤滑方式 / 潤滑油容量
 ドライサンプ式/1.9L
燃料タンク容量 10L(リザーブ2L)
定地燃費 40km/L (60km/h)
変速比
 1速 2.285
 2速 1.733
 3速 1.375
 4速 1.090
 5速 0.863
減速比(1次/2次) 2.960/2.733


◆Z33('02)主要諸元

車種 フェアレディZ/クーペ/2WD
車名型式 UA-Z33
エンジン型式 VQ35DE(NEO)
運転タイプ 6MT

全長×全幅×全高
 4310mm×1815mm×1315mm
室内寸法 長×幅×高
 1005mm×1475mm×1100mm
ホイールベース 2650mm
トレッド前/後 1535mm/1540mm
最低地上高 120mm
車両重量 1430kg
乗車定員 2名
最小回転半径 5.4m
燃料消費率|10・15モード 9.7km/L
駆動方式 後輪駆動(FR)
ステアリングギヤ形式
 パワーアシスト付ラック&ピニオン式
サスペンション 前・後
 マルチリンク式 ・ マルチリンク式
主ブレーキ 前・後
 ベンチレーテッドディスク式(前後共)
タイヤ
 F : 225/45R18 91W
 R : 245/45R18 96W
種類・シリンダー数 DOHC・V型6気筒
シリンダー内径×行程 95.5mm×81.4mm
総排気量 3.498L
圧縮比 10.3
最高出力
 206kw[280ps]/6200rpm
最大トルク
 363Nm[37.0kgm]/4800rpm
燃料供給装置 ニッサンEGI(ECCS)
使用燃料・タンク容量
 無鉛プレミアムガソリン・80L
変速比
 第1速 3.794
 第2速 2.324
 第3速 1.624
 第4速 1.271
 第5速 1.000
 第6速 0.794
 後 速 3.446
最終減速比 3.538


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